2015年6月25日
――ブンさんは、どうしてマイクロファイナンスを始めようと思われたのですが。
ブン・モニー(以下、ブン) 学生時代はアメリカのプリストン大学でビジネス・マネジメントについて学び、1992年にあるNGOで簿記係として働いていましたが、そのNGOがマイクロファイナンスを始めたんです。私はマイクロファイナンスというビジネスが貧しい人たちを助けるものだと最初は信じませんでしたし、長く続くビジネスだとも思いませんでした。なぜなら、その時のマイクロファイナンスの原資は小さくて、お客様からもらう利子も小さかったですし、なによりも貧しい人に貸したお金が返ってこないというリスクが大きいと思っていたからです。
しかし、このビジネスを続けた2年後、私の考えは逆転しました。このビジネスは、貧しい人を助けることができ、投資家にも利益をもたらし、継続できるものだと知ったのです。さらに自分自身の工夫を加えれば、もっと良いビジネスになるだろうという自信がありました。そこで、1995年に、私はカンボジア・サタパナ・アソシエーションというNGOを始めました。
その時、アメリカやドイツからの支援を受けていましたが、2000年から外国からの支援がなくなり、サタパナリミテッドとして独立して運営することになりました。ライセンスは2003年に取得しました。
――設立当初はどんなことが大変でしたか?
ブン 2000年以前は、国民に寄付するという考え方でしたが、運営が大変でした。お金を返してくれませんでしたし、そもそもマイクロファイナンスを運営している私たちの会社のスタッフ自身が、自分の会社のサービスを知らないのです。なぜなら、内戦が終わったばかりで人々には知識があまり無かったからです。
2000年まで支援してくれたさまざまな国々は、その後、カンボジアには支援がもう不要だと判断して、さらに貧しい国である東ティモールやコソボに支援先を移して行きました。このような状況は、当時のサタパナ以外のマイクロファイナンス機関も同様でした。
このとき、マイクロファイナンスについてスタッフに教育し、マーケット、つまり国民、つまり自分たちのお客様にこのサービスを理解してもらうことが必要だと気がついていたマイクロファイナンス機関はアクレダとスタパナ、アムレットの3社だけでした。3社ともライバルでありながら協力し合ったことで、2000年以後には効果が現れだし、お客様はマイクロファイナンスから借りたお金を返してくれるようになったのです。借りたお金でビジネスを起こし、そのビジネスを大きくすることで利息を返していくという考え方が認識され始めた2000年という年は私にとって印象深いのです。
――返済率はどのくらいでしょうか。
ブン 2000年当時のサタパナの場合では、返済率は85%でした。2000年以降は99%後半までに向上しました。2004年、支払い期日から30日を超過している不良債権の割合は業界平均で0.5%でしたが、サタパナは0.18%でした。
――ブンさんは、カンボジアのマイクロファイナンス協会の会長もされておられますが、カンボジアでのマイクロファイナンス業界はどのように成長しましたか。
ブン 最初は2,3社でしたが、現在はライセンスを所有している機関は39社です。カンボジアにはサタパナを含め、国全体で約1,170店舗あります。一番少ない州でも3店舗以上あります。2014年、債権者の数は177万人、貸付残高2,028百万ドル。預金が可能なマイクロファイナンス機関が7社あり、預金者総数100万人、預金総額895百万ドル。2013年の預金総額は445百万ドルでした。貸付残高は1,300百万ドル。2013年と2014年を比較すると貸付残高が50%伸びました。預金総額は100%伸びました。(後編へ続く)
(取材日/2015年3月)