2018年1月29日
――御社および温井様の紹介をお願いします。
温井 和佳奈(以下、温井) 私は元々、女性の自立支援をきっかけにカンボジアにやって来ました。私自身、女性が夢を実現し、好きな職業を通して自立できる道筋を作りたい、そんなプロジェクトを実施したいと考え、2002年から様々な途上国を回っていました。その中で2009年に初めてアンコールワット遺跡を見た瞬間から、そのデザインの素晴らしさに魅了されました。カンボジアにはアートやデザインの才能を持った人たちがたくさんいるのではないかという思いと、プロデューサー業を長年やっていた自分のキャリアが活かせるのではないかという可能性を感じました。
私がカンボジアを訪れた当初は、中国をはじめ数千社もの外資企業が既に参入しており、デザインに対する需要は非常に大きいと考えました。しかしカンボジアではグラフィックデザイナーが不足しており、その当時の外資企業も皆、自国やカンボジアの近隣国であるタイ、ベトナムにデザインを発注することが多く、カンボジアはクリエイティブ産業において機会損失をしていると思いました。
また元々自分の興味であった「女性の地位が低い」と「クリエイティブ産業の機会損失」 問題。女性がこの業界で技術を持ては、国の経済的損失を補うことができ、自ずと女性の地位は上がり解決していくだろう、だからデザインを通じたビジネスや女性が稼げる流れをつくる一人になれたら良いなと、事業を模索し始めました。
私自身、カンボジアに来る以前は、12年間にわたり ウェブデザイン&マーケティング会社の経営者兼プロデューサーをしており、常にクリエイターやデザイナーと仕事をしていましたのでプロデューサー的視点から社会問題を解決できる一部になれる企画を模索しました。そこで、デザインを通じて夢をかなえる応援をするドリーム・ガールズ・プロジェクトを発足、2010年からドリーム・ガールズ・デザインコンテストを毎年開催しています。またデザインがビジネスとの架け橋になることを願い、コンテスト参加者のデザインを企業に採用してもらい、彼女たちのデザインがパッケージなどに採用された商品をアメージングカンボジアで販売しています。
――その中でも、なぜ小売産業を選ばれたのでしょうか?
温井 失敗確率の少ない仕組み化できる事業を前提に、消去法で決めました。デザインを通じて女性が夢をかなえられるビジネスとは何か。デザイン業務は受託ビジネスなので、人材が相当なレベルまで育たないとマネジメント負荷が高いため、体力的に厳しいのでやらない。常に現場に自分が入らずにオペレーションが仕組み化でき、一定規模まで拡大のしやすいタイプの事業を考えていくと、思いつくのは小売業しかありませんでした。小売業なら様々な商品パッケージにカンボジア女性のデザインを採用することで、海外の方が手に取り自国に持ち帰ればカンボジア女性たちの夢である世界の人たちにデザインを見てもらう、という夢もかなえられます。
また、カンボジアの経済データも一つの要因です。お店を出す前、プノンペンに視察に来た際にイオンモールのセミナーで貴重な情報をお伺いできました。2009年の政府都市計画省のデータによると、イオンモールプノンペンのあるエリアは、カンボジア全体の90%近くが世帯月収0~400ドルであるにも関わらず、イオンモールの5km圏内に住む人は80%近くが世帯月収400~800ドルでした。更に1km圏内に住む人は、約60%が800~2000ドル、約15%が2000ドル以上の世帯月収で、プノンペンの年間小売市場規模は2500億円だと聞き、 思ったよりプノンペン市場は大きいのだと思いました。
東京の小売市場規模は当時で約4兆円、それでも成熟期に入っている日本で小売をやる勇気はありませんが、プノンペンでいたるところにブルーオーシャンのある市場でなら、私たちのような素人でも、可能性があるのではないかとワクワクしました。カンボジア計画省統計局 によると2009年当時のプノンペンの一世帯あたりの可処分所得は504ドル、農村地帯で138ドルでした。ちなみに2014年にはプノンペンのそれは709ドル、農村地帯で288ドルに成長しています。
また別の要因として、2015年の産業別GDPがあります。カンボジアにおける産業別労働者で比較すると、全体の65%が農業に従事、19%がサービス業に従事しており、農業に人的資源が集中していました。しかし、産業別GDP分布で見ると、農業はわずか30%の貢献度であり、サービス業は42%と最も大きい割合を占めていました。ここから、カンボジアは農業技術や作物を加工して付加価値をつけ販売するなどの力が不足しているのではないかと考えました。そこで現在は、お土産の食品加工業として新しいプロジェクトをスタートしました。カンボジアの自然の恵みを使ったお土産のお菓子の商品開発を進めています。
――お店の歴史について教えてください。
温井 弊社は元々、カンボジア人女性がデザインをしたものを売りたいという思いから始まっているため、当然カンボジアの商品を扱いたいという思いがありましたが、その当時は、多くのカンボジア人が「メイドインカンボジアの商品は粗悪品」といい、そのような概念が根強く一般にありました。
そんな中、お店のスタートは2014年、女性のライフスタイルに必要なカンボジア商品と日本商品を扱う『WAKANA』というお店をカンボジアでは最高級モールとなるイオンモールプノンペンの中にオープンしました。
しかし事業を開始してみると、全く店にお客さんが入らず困りました。またどんなに質が良い日本製品であっても、カンボジア人にとってブランド力がないと、なかなか売れないということが分かってきました。また日本製品は良いものが何千種類もあるため、どんな商品を日本から買い付けてカンボジアに持ってきたら売れるのか、とことんわからなくなりました。その結果、お店の売り上げは低迷しどん底を迎え、撤退寸前という状況に陥ってしまいました。
そんな時、売れていないながらも、それまでの各商品の販売履歴を観察すると、カンボジア産商品の売上が毎月20%以上も伸びていることがわかりました。そしてカンボジア全土から自分たちなりの目線で商品を増やし厳選して売り出したところ、自分たちが確信を持って仕入れた商品が一気に売れ始めました。これをきっかけに思いきった決断をしました。2016年6月、ゼロからやり直すつもりで、今まで扱ってきたすべての日本産商品の販売をやめ、カンボジア産の商品に特化し店名も『AMAZING CAMBODIA』にブランド変更をしました。もちろん商品をメイドインカンボジアにしただけではありません。改めて商品構成をやり直し、サプライヤーとパッケージの変更を一緒に考えたり、商品企画を一緒にするなど、売上が伸びた要因は、これらの要素の方が大きかったかもしれません。またすべての取引先や農家を訪ね、 今では35以上のサプライヤーさんと繋がり1500商品以上の商品を扱っています。
立ち上げ当時からいるスタッフとは、今では家族のような同志です。「カンボジアの誇りを世界へ」がミッションであり、それは私たちの絆になっています。
現在は一つのお店としてではなく、お土産のプラットフォームをカンボジアに作りたいという思いで日々活動しています。
――アメージングカンボジアブランドにしてからは1年半で、その苦境から成功に逆転できた秘訣を教えてください。
温井 まだまだ成功したと思っていませんが、2つ大きな要素があったと思っています。一つ目は、カンボジア人の存在が大きかったと思います。どん底の時、デザイナーや経営者を目指すドリーム・ガールズがお店に来てくれて、励ましてくれたのは精神的な支えになりました。数年経った今、彼女たちはデザイン会社の経営者、世界に行くアーティストとして羽ばたき始めました。こちらも負けちゃいられないと(笑)またある日は売上がゼロになりそうでしたが、うちのカンボジア人スタッフが心配してなけなしのお金で買い物してくれたり。お客様の数として一番多いのもカンボジア人です。弊社はお土産屋さんなので、カンボジア人はあまり来ないかなと思っていましたが、政府の方が外国から来たお客様をご案内してくださったり、海外に行く前にカンボジアを誇れるものを買いたい人たちや、日常に使うものとして購入してくださる方まで様々です。
カンボジア人を支援したくてこの国に来たのですが、結果はむしろ私たちがカンボジア人に支援してもらっているのだな、と感じています。今は、常にカンボジアに恩返しをしたいという気持ちでやっています。
そしてもう一つの大きな要因は、カンボジアでものを作る人たちや企業の悩み解決につながったからではないか思います。ものづくりをする人たちの悩みとは、商品の魅力を最大限に伝える「デザイン力やマーケティング力」と「強い販路」がなかったことだと思います。弊社と接点ができることで、この両方の悩みが解消されました。デザインやマーケティング力は私の前職で12年以上やってきたことですし、強い販路という意味では 「アメージングカンボジア」というブランドでくくり、単体でブランディングするよりもはるかに強力なブランドを作れないかと日々試行錯誤して、気がつけば「農家やものづくりの人々とともに成長するお店」になっていました。
(次回へ続く)