2016年8月8日
先日68歳になりました。60歳で会社員を定年退職してカンボジアに来ました。その前は主にホンダで技術者としてクルマの開発をやっていました。クルマが大好きで、若いころからそのことばかり考えていました。会社では、商品企画や車の総合性能などを担当していました。クルマって単純にガラスと鉄とゴムの塊を集め、動く機械としてかたちにしたら高く売れるっていうものじゃないんですね。愛車っていうぐらいで、そこに愛を込める必要がある。技術屋でしたけど仕事をしながら、クルマのそういうところがすごく面白いなと思ってやってきました。
そうしている間に技術研究所ではマネジメント側になりました。技術の世界は年を取ると新しいアイディアが出にくいものです。若い人の力を最大限引き出すというのがホンダのマネジメントの基本の考え方でした。それは私に中に今も生きています。そういったことを仕事しながら学んできました。
40代のとき7年ほど駐在員としてドイツとイギリスで仕事をし、外国の方と働くことを学びました。主にクルマの技術や欧州マーケットのリサーチをしていたのです。そもそも外国の人がどういう生活をしてどういう考え方をしているのか、それがわからないとモノを作っても買って貰えないわけですからね。
その後50代は6年間ホンダが経営するテクニカルカレッジ、クルマの技術と店舗経営を教える専門学校の校長として、人を育てる仕事に就きました。ホンダだけでなく日本のマネジメントには、「人は育てるもの」という考えが色濃いと思います。この学校は埼玉にある一般向けの学校です。800人くらい生徒がいます。創業者の本田宗一郎が会社を後進に託した後、「人を大切にする技術」を通じ若い人を教育しようと創った学校なので人を育てることへの関心が強くなりました。もともといた本田技術研究所というのも、技術とついていますが、研究しているのは技術じゃなくて人間なんですね。初めに人間ありきなんです。それが学校での非常に大きな人育てのテーマです。私は宗一郎のフィロソフィーを若い世代に伝える側の役割をしてきました。
定年までの最後4年間は科学技術の振興を目的とした公益財団法人本田財団で仕事をしました。やはり本田宗一郎が個人として設立したものです。ただの技術ではなく、ここでもやはり人なんです。科学にも技術にも、プラスの面だけでなくマイナスの面もある。車だったら事故に遭ってしまう人もいるし、CO2に優しい原子力だって事故が起こったら大変なことになる。ポジとネガがあるわけです。
ということは科学も技術もどういう点で評価されなければいけないかっていいますと、「本当に人類の役に立っているか」という一点です。人の役に立つ反面、逆に人を傷つけるかもしれない科学技術を、人が全面的に幸せになる技術の方向にむける。最先端の技術を作ることが目的ではなくて、技術を使いこなす技術はできているか、そういったことの研究を進めたりひろめたりしていました。このような技術概念をエコテクノロジーと名付け40年くらい前から世界に向けて提唱しています。
エコはエコノミーのエコではなく、エコロジーのエコです。現代は技術が発達して便利な物がどんどん出てきますけど、地球レベルで見て人やその社会を中心とした生態系に真にプラスになっていないと自殺行為になるわけですね。エコテクノロジーの観点で人類にプラスのインパクトを与える実績を上げた人に贈る本田賞の運営を財団はメインの事業としていました。日本初の科学技術国際賞です。しかしそういう実績挙げた方って結構お年寄りだったりするんですよね。
さっきも言ったように若い人の力を最大に引き出して未来を作るっていうのが大事です。大抵は年寄りの方が取りあえずうまく物事を進めるんですけど、それだと先が無い。そこでY-E-S奨励賞という新たな事業を立ち上げました。アジア5か国、インド、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムの学生の中から科学技術の分野で最も優秀で将来のリーダーシップを取れる人を、論文、面接などで選びます。学業成績だけでなくどれだけ志が高いかを重視します。
この仕事で2006年に私は初めてカンボジアを訪れました。その時お目に掛かった教育青年スポーツ省のピッチャムナン長官はなかなかの人格者と感じました。この事業の立ち上げを通じアジアとご縁ができました。当然費用は財団が出しますが、現地で募集をして、応募書類を集め一次審査、論文審査、授与式、そういったことを受けて下さる機関が必要だったので、JICAの紹介を通じCJCCにお願いに来たのです。
実はCJCC創設のカンボジア側の立役者もピッチャムナンさんであったことは後で知りました。それは氏がRUPPの学長時代からのことで、以来CJCCを引っ張って来られました。現在はジョイント・コーディネーション・コミッティというCJCCの上位運営委員会の委員長でもあります。そういうわけで気がついたらカンボジアと深いご縁ができていたという感じです。
定年退職後、遊んで暮らそうと思っていたらCJCCで教えてみないかと声がかかって、ビジネスコースの講師を3年やりました。カンボジアにずっといたわけではなく年に1〜2回、一度来たら3,4週間とかでしたけどね。本田財団のY-E-S奨励賞5か国のうち、特にカンボジアにますますご縁ができたわけです。そうしている間にここに常駐することになり、今の役目を頂いてからもう5年たちます。ここでやっているのは所長のウンさんをサポートする経営のお手伝いで、クルマも技術も関係ありません。
CJCCと同じく、東・中央アジアと東南アジア地域の9ヶ国にJICAが創った通称日本センターが10カ所あります。CJCCプロジェクトはカンボジア政府の要請により2004年に人材開発のために開始されました。施設の英語名はカンボジアジャパンコーポレーションセンターです。人材開発の前提としてしっかりした協力関係が不可欠との認識によるものです。人材開発は、復興を目指すこの国の「四辺形戦略」のひとつの重点ポイントで、特に何の人材かというとビジネス人材です。JICAでは民間セクター開発といっています。この国のビジネスが健全に発展できるようにリーダーとなる人材を育成することが目的です。
CJCCは形式的には王立プノンペン大学の学部レベルの一部門です。しかしフンセン首相からの政令に基づき財務的、人事的、事業的に独立して運営することになっています。あくまでカンボジア教育省の傘下ですが、独立した国際機関と見るほうが実態と合っていると思います。カンボジア政府から派遣されている公務員は3人だけで、他の従業員はCJCCの直接雇用です。すなわちCJCCは独自に人を雇い銀行口座をもち、契約を結ぶことができます。本田財団との契約もビジネスベースで互いに直接結ばれたものでした。
JICA事業の基本はプロジェクトベースです。CJCCの場合もいくつかの段階があり、最初の5年間の立ち上げ期間がフェーズ1、次の5年が自律運営に向けたいろいろな仕組みづくりを進めたフェーズ2でした。現在のプロジェクトは2014年から始まりました。人材開発に加え人材活用すなわちビジネスネットワーキングがメインテーマに加えられました。なのでフェーズ3とは言いません。2016年度は5年間のプロジェクトのちょうど真ん中の年です。
設立以来CJCCでは民間セクター開発のための人材開発を目的として3つの主な事業を設定しています。そのためにはまず日本とカンボジアが協力し合う下地を強化しなきゃいけません。英語名にはそういう想いが入っています。そのためのビジネス教育、日本語教育、文化交流。この3つが柱です。2012年に設定したCJCCの新らしいロゴには、その3つのキーワードが添えられています。
現在JICAから派遣されているのは私を含め2人です。あと2人べつに国際交流基金(JF)から専門家が2人派遣されています。日本の二つの機関から専門家が来てサポートしているわけです。この2つの機関は一体感を持って動こうとしているので、オールジャパンとしてのサポート体制は変わりません。2014年度からJFが加わり強化されたということです。日本人の専門家はCJCC運営の組織の外にいて、アドバイザリーチームと呼んでいます。
つまり運営はカンボジア人のオーナーシップを大切にするということです。なぜかというとJICAやJFを通して行われる日本の協力事業に永久に日本人の税金が投入されるとの想定は出来ません。だからフェーズ2からは自律運営の力を付けることを意識して経営を進めてきました。カンボジアの政府機関は一般に国の税金で100パーセント運営していける体制にありません。大部分の経費は自分で稼ぐ必要があります。カンボジアの政府の分担は電気代など運営費の一部です。だからCJCCでは施設貸出し、ビジネスコース、日本語コース、カルチャーコース、ほとんどが有料サービスなのです。公的機関ですけれど運営は民間企業にかなり近いのです。
もちろん最終的にはノンプロフィットで無ければなりません。活動はほとんど一般の会社と同じで、どんどんサービスの幅を広げています。たとえば就職フェアも実費レベルの設定ですが有料サービスです。その結果、以前は経費の大部分をJICAの協力に頼っていましたが、現在は総経費の約7割を自律運営の収益で賄っています。当初は事業運営の定着が優先だったため、収益事業自体をやっていませんでした。本田財団との事業がCJCCにとって初めての収益事業でした。CJCCは公益機関でありながら、民間機関と受託契約をしてお金を稼ぎます。プログラム始まったのは2008年、3年間私は講師として派遣されて傍らで見ていました。それからどんどんいろんなサービスが収益事業として広がってきています。CJCCの事業形態は日本の感覚だと非常に整理しづらいと思います。(取材日/2016年2月)(次回へ続く)