2018年7月30日
――プロフィールを教えてください
三好 輝明(以下、三好) 香川県出身です。高校卒業してから東京の大学に入学しました。企業に就職をする予定が急遽変更して、千葉の浦安町(当時)で教員になりました。当時はディズニーランドもない小さな海辺の町でした。当初特に大きな志があったわけではないのですが、夢中になり気が付くと5年6年が過ぎていました。そして、5年目ごろから海外にも興味を持つようになりました。ある時偶然、海外の日本人学校の派遣の資料が机の上に置いてあり、締め切りが2日後だったので慌てて記入し校長先生に渡しました。
そして、1987年にイラクのバグダッドにある在イラク日本国大使館付属バグダッド日本人学校への赴任が決まりました。初めての海外で初めて飛行機に乗りました。当時はJALの南周りがあって、バンコクでトランジットしてクエートに夜着きました。翌朝に出発だからクウェート担当に人が迎えに来ているから心配ないと聞いていましたが、着いたら誰もいませんでした。妻と二人で心細い思いをしました。ちょうどイラン、イラクの戦争が真っただ中でした。仕方なく朝9時の出発まで起きていて、夜も朝もご飯を食べずに乗り換え口で待っていました。空港の外にも出られません。
朝搭乗機のところに行ったら、荷物が下にたくさん置かれていました。段ボール30個くらい。荷物が届かないと聞いていたので、山ほど持って行ったのです。それを自分で積めと言われ、痛いような暑さの中、汗だくになって積みましたね。海外ってこういうものかなと、私たちから見ると非常識でもこれが世界の常識なのかなと感じました。バグダッドに着いたときのボディチェックは驚きで、女性は別室に呼ばれて、荷物は切り裂いて開けて見ることも多く、自分の荷物大丈夫かなと思っていたら、大使館員の方が来てくれて事なきを得ました。
なんとかホテルについて荷物も運び終わったら、地響きがしたのです。あれがミサイルです、と付き添いできていただいた先生が教えてくれた時、とんでもないところに来てしまったなと思いました。どんな生活になるのか不安でしかなかったですが、今私に残っている記憶は、素敵な人たちとの素晴らしい出会いです。特に民間企業に勤める駐在員の方たちとはいまだに年2回ほど会っています。そういう繋がりの中で、私の学校教育の視点が変わりました。それまでの当たり前は、教員世界での当たり前で、一般社会のあたりまえとは大きくかけ離れていることに気づかされました。
(次回へ続く)