(c)Phnom Penh Post
昨日、ソック・アン副首相が長い闘病期間の末、北京病院にて66歳で亡くなった。プノンペンポスト紙が報じた。
閣僚幹部によると、葬儀のために政府は国家予算から75万ドルを支出することが明らかになった。
ソック氏は、1950年4月16日にタケオ州で生まれ、教師をしていたが、クメール・ルージュの時代を経てもカンボジアに残り、知識人が粛清される中、生き残った。1980年初めには、クメール・ルージュを追放し設立された新政権で、フン・セン氏と共に外務省で働いた。
ソック氏が果たした最も大きな業績は、カンボジア国営石油公社とアンコール遺跡を管理するアプサラ・オーソリティとの役割である。更には交渉人としても、同氏はクメール・ルージュ裁判法廷の設立だけでなく、国境紛争においても重要な役割を果たした。また、プレアヴィヒア寺院の世界遺産登録を巡るタイとの争いにおいても、優れた業績を残してくれたという。