カンボジアで有機野菜の生産や販売を中心に毎日が忙しいトラーさん。日本語との出会いは、今から約10年前の高校生の頃、田舎の塾の先生が話す外国語が格好良かったのがきっかけ。その外国語が日本語だと知り、急に日本に興味を持ったのだ。その頃、周囲には日本という国を知っている者は少なかった。
高校を卒業し、プノンペンに来た。とある大学に奨学金で入学する試験に合格したが、教え方が厳しいと当時から有名だった日本語学校に入学を決意した。「どれだけ厳しいか興味がありました。でも、想像していたより厳しかったです。一番厳しかった先生が、今は一番大好きな先生で。今も感謝しています」。
忙しなく働く日本人の先生たちを見て、日本は忙しい国なんだという印象を持った。時には日本から学校を見学に来た日本人に習慣を聞いたが、やっぱり忙しそうだと思ったと言う。「働くという視点で日本という外国を見ていました。当時はカンボジアに日系企業は少なかったけど、いずれ多くなるだろうと思っていました。今の会社の計らいで日本に初めて行くことができました。でも、実際に行ってみて、日本は本当に忙しそうな国だった(笑)」。
これまでNGOや工場などで通訳の仕事をしていたが、以前より農業の仕事に興味を持っていた。人材会社CDLに求職登録をした後、2012年に現在の日系企業を紹介され就職した。いろいろな作業を経験させながら人材を育成したいという社長の意向で、初めは畑でオクラ作りをすることになった。畑を開墾するところから始めたが、炎天下での作業は想像以上に大変だった。
畑仕事に慣れると、今度はトゥクトゥクカーで農作物を運搬した。「自分のバイクで運転テストをしましたが、トゥクトゥクカーの運転はバイクと比べて難しいんです」。運搬作業を覚えると、今度は工場でパッケージ作業を任された。パッケージ方法が決まっておらず、試行錯誤しながら進めたのも良い経験だ。
そして、遂には農地開発の仕事を任され、契約栽培農家を探すため、農村をかけずり回ることになった。諦めずに仕事を続け、着実にキャリアアップしていった。
「仕事に厳しい日本人と一緒に働くことで、いろいろ勉強ができたと思います」。
責任感の強さやまじめな性格、これまでの勤務態度が評価され、今年1月から13人の部下を持つゼネラルリーダーという管理職に就いた。仕事も難しくなった。これまで経験してきた作業だけでなく、会社としての新しい取り組みも任されることになった。また、自分の作業をしながら、13人の部下の仕事もみなければならなくなったため、プレッシャーも今までとは比べ物にならない。
そのような中で、お得意先から急な注文が入るときもあるが、そんな時こそ、仕事のやりがいや、部下を持つ喜びを感じている。
「部下のスタッフに、お客様が急いでいるので早く作業してください。でも、ちゃんとキレイにパッケージしてくださいと言ったら、そのとおりに作業してくれたことがともて嬉しかった。」
急な注文に対応するために、自社農園で様々な野菜を作っているが、最近はオーダーを予想することができるようになった。
「足りなくてもダメ、余ってもダメな仕事だから、スタッフのマネジメントだけでなく、オペレーション全体で考えて行動しなければなりません。でも、時にはオーダーの予想が外れることもあります」。
また、コンポンスプー州の契約農家に、都市部でどのように売られているかを説明し、ときには改善策も提案している。なかなか言うことを聞かず、約束を守ってくれないのが悩みの種だが、部下と共に困難を乗り越えようと頑張っている。
手厳しい日本人のお得意様からの課題も、そうやって一つ一つ乗り越えてきた。
「ある取引先の方が、青果専門の物流会社をやっていた元社長さんで、とても厳しい方でした。3か月間くらい、ずっと怒られていました。スタッフも怖かがっていましたが、一緒にチームで頑張りました。でも、最後は野菜の品質とサービス、コミュニケーションが良いと褒められて、すごく嬉しかったです」。
特別レポート(2019/06発刊10号より) 観光の視点から考える対日本マーケット戦略(1/3) 2000年から現在まで、カンボジア観光客の増加状況 カンボジア首都プノンペンから国道5号線に沿って北西に約300キロメー … [続きを読む]
特別レポート(2018/05発刊8号より) カンボジア農業最前線 〜最貧国の零細国家が手にした『神器と信用』が引き起こす農業変革の波〜(1/4) 高層ビルや高級コンドミニアムが次々と建設され大手小売や飲食チェーンの進出も … [続きを読む]
今回行った調査では、全体のうち賃貸物件に住む人が54%、持ち家に住む人が46%を占めている。 賃貸物件に住む人を対象に行ったこの質問では、場所(環境)と家賃が家選びの基準として多く挙げられた。場所(環境)としては、会社 … [続きを読む]