2002年にカンボジアに創業したイエローツリー・インテリア。競合が増えている中、内装サービスの老舗として存在感は今でも健在だ。カンボジアの大手企業の内装・外装を数多く手がける同社のマネージングダイレクターのバーニー・ダーキン氏が、どのようにカンボジアと向き合い、これまで生き残ってきたのか。彼の人生から、サステナビリティのヒントが隠されている。
家族代々軍人の家系。生粋の英国軍人がアジア人と関わる仕事に転身してわかったこととは。
イギリスで生まれ育ち、16歳で軍に入隊し20年ほど勤めました。父親を始め、軍隊勤めの者が多い家庭環境で育ったので、入隊した当初は「なんだ、家のほうがよっぽど恐い人が多くて厳しい環境じゃないか」と思ってしまいましたが、戦場では1日が1年にも感じられるような過酷な日々も体験しました。
初めの4年間は訓練生兼会計係として勤め、その後16年近くは肉体トレーニングの指導官として勤めました。私が初めてアジアの人と仕事をしたのは、指導官としてネパールのグルカ兵たちと関わった時でした。
1993年、36歳の時に軍隊から退き、翌94年から2007年はフィットネス企業で働きました。米国企業ですが、勤務先はタイや中国、ベトナム、フィリピン、カンボジアといったアジアの国々で、マネジャーやカントリーマネージャーとして働き、仕事や生活でアジアの人と関わる機会はますます増えました。
よくアジア人の印象をひとくくりにする西洋人がいますが、例えば隣国同士のタイ・カンボジア・ベトナムの人々を比較しても、見た目や性格は共に全く違うと感じました。カンボジアの人たちは優しく穏やかで付き合いやすいと思います。
厳しい管理態度を買われ、顧客からの思いもよらぬオファーは全くの異業種の管理職ポストだった。
初めてカンボジアに来たのは2006年、49歳の時です。働いていたフィットネス企業の転勤でプノンペン勤務となり1年ほど勤めました。その後、元同僚のビジネスを手伝うために一度イギリスに帰ったのですが、翌2008年にはプノンペンに戻り、2011年まで会計事務所のKPMGでオペレーションマネージャーをしていました。
2010年、KPMGが新しいオフィスを構えることになったのですが、その内外装を担当していたのがYellowTreeでした。現場を監督していたYellowTreeの責任者と面識ができましたが、その時はそれだけでした。
翌年の2011年になって、現場監督をしていたその彼から、YellowTreeのゼネラルマネージャーにならないかと話を持ち掛けられました。当時のYellowTreeは職場を引き締められるタイプの人間を探していたようです。その頃の私はどちらかというと厳しいマネジャーでしたから、彼は私がKPMGで働く様子を見てオファーをくれたのだと思います。54歳の時です。2011年にゼネラルマネージャーとしてYellowTreeに加わり、2016年からはマネージングダイレクターを務めています。
競争社会を生き残るうえで、社員たちが一丸となり邁進するための大切なスローガンとは。
過去9年の間に、プノンペンの内外装の業界も目まぐるしい変化がありました。特に過去3年は業界の競争が激化し、生き残りは容易ではありませんでしたが、私たちは正直であること・誠実であること・信頼してもらえること(honesty,integrity,trustworthiness)の3つをずっと大切にしてきました。私たちに強みがあるとすれば、それら3つだと言えるでしょう。私たちはいつもクライアントに対して正直で、ごく稀に例外は起こりますがプロジェクトの期日は必ず守ります。
Copy light 2014 CDL Marketing Partners Allright reserved.