カンボジアで20年以上に渡る歴史を持つポストメディア社。英字新聞であるプノンペン・ポストは、カンボジアで現存する最も古い独立系新聞で、1992年7月の発刊から、カンボジア人はもちろん外国人にも愛され続け、現在は世界35カ国に購読者がいる。
そんな歴史あるメディア企業を、わずか29歳にして最高経営責任者(CEO)に就任したアレックス・オドム氏。若きCEOの仕事への熱い思いや目指す未来とは。
アジア各国で働き7年になるアレックス氏。その経歴と、東南アジアそしてカンボジアに来たきっかけとは。
私は、ポストメディアのCEOには異例な形で抜擢されました。私の専門は金融で、人々が期待するような元ジャーナリストではありません。2015年頭に最高財務責任者(CFO)としてポストメディアに入社し、それから2016年3月に最高経営責任者(CEO)に就任しました。
カンボジアに来る前はミャンマーとラオスで、投資家から集めた資金を事業会社や金融機関に投資し、投資先の企業経営に深く関与し、企業価値を高めた後に売却する仕事をしていました。ミャンマーやラオスと比較してカンボジアが一番便利な場所だと思います。
今年で30歳です。カリフォルニア州のサンフランシスコ郊外で育ちました。幼少の頃は、野球やバスケットボール、水泳など、外で遊ぶことに多くの時間を費やしました。
学生時代は数学がとても得意で、ビジネスや投資に非常に興味があり、レモネードスタンドなど、たくさんの小規模事業を始めました。それから、金融や経済を勉強するようになり、最終的にサンフランシスコ大学で財政学の修士学位を取得しました。同時に、3年近くかかって公認財務分析(CFA)も取得しています。
大学卒業後、プライベート・エクイティの仕事を経て、東南アジアでの経歴がスタートする。
プライベート・エクイティの仕事を始めたのは、財務や業務の観点から、何が会社を動かしているかを学ぶのが大好きだったからです。特に海外では、通常の企業リスクや経済リスクはもちろん、カントリー・リスク、政治リスク、為替リスクなど、様々な側面を考える必要があり、挑戦に溢れた環境でした。私は、自分の仕事を「パズルを終わらせる仕事」だと思っています。全リスクを考慮すると、解決のための方程式はより難解になる。私の仕事は、パズルの欠けた部分を探し、全体を完成させる仕事です。このような海外市場では、いつも全ての情報があるわけではありません。限られた情報の中で正しい意思決定を行うスキルが必要となります。
カンボジアに来る前は、ラオスとミャンマー、香港で働いており、ラオスに行ったのは、ボランティアをしている友人を訪ねるため、2009年後半に短い旅行をしたことがきっかけです。その旅行中、地元のマイクロファイナンス機関で働かないかと誘われました。両親は、私が香港で働いた後、カリフォルニアに戻ってくることを期待していたので、このオファーを受けたことをクレイジーだと思ったでしょうね。
また両親はラオスについて聞いたこともなかったので、危険な場所だと思っていました。しかし正真正銘、新興市場のベンチャー企業であり、私にとって非常に興味深かったですし胸が高まりましたよ。当時23歳です。
その後ミャンマーへの引越しは、綿密に計画しました。ラオスで働いて数年後、より大きく力強い経済地域に住みたいと切望していたところで、ミャンマーは、ちょうど国が開放されたタイミングでした。私のキャリアを成長させ、より未開拓で大きい市場を経験するには理想的な場所だと思いました。
CEO就任の理由や、当時の気持ちとは。
カンボジアを訪れたのは、2015年3月にコンサルタントとして出張で来たのがきっかけです。当初は、数週間の滞在予定でしたが、当時の株主が、私にCFO、最終的にはCEOとして働かないかと尋ねました。
ポストメディアの参加を決めたきっかけは、カンボジアを訪れた人、カンボジアについて調べた誰もがプノンペンポストを知っていたからです。ポストメディアには、ブランドがあります。実際に、他の新聞と比べてより多くの国際的な賞を受賞してきました。またポストには、25年の歴史があり、長年に渡り突出してきたメディア企業で仕事をするのはチャンスでした。カンボジアの歴史の一部を作る機会であり、他の人に渡したくないチャンスだったんです。
もちろん、カンボジアは好きですよ。この国は、外国人に対してとても開放的で感じが良く、生活するにも居心地が良く楽しいです。カンボジアが隣国と違うのは、人々の質の高さとフレンドリーさですね。私はアセアン諸国に7年近く住み働いているのですが、これまでカンボジアのように、やる気があり、モチベーションの高いスタッフを他の国で見たことがありません。このような素晴らしい同僚に囲まれ、仕事に打ち込めるのは非常に喜ばしいことです。