ミャンマーに進出する日系企業のための
B2Bガイドブック WEB版

業界別インタビュー

2017年6月28日

競争が激化するミャンマー進出建設業

不動産・建設・オフィス

モデアミャンマーエンジニアリング Modair Myanmar Engineering
マネージングダイレクター : 千葉 真木子 Chiba Makiko
競争が激化するミャンマー進出建設業
2011年の民政移管以降、ラストフロンティアとして注目されたミャンマーには、日系の建設業が多数進出した。その企業が今、ミャンマーの現実に直面している。朝令暮改の法規制に加え、特殊な商慣習なども立ちはだかる。それを乗り越えようと奮闘するのが、東洋熱工業のグループ企業で、ビルや工場の設備工事などを手掛けるモデアミャンマーエンジニアリングの千葉真木子マネージングダイレクターだ。ミャンマーの現場を熟知する千葉氏に、ヤンゴンの建設業の置かれるの市場環境を聞いた。
多国籍な人材を活用し差別化をはかる

―モデアミャンマーエンジニアリングはどのような分野で活動しているのですか。

 ミャンマーでの弊社の最初の案件は、バルーチャン第三水力発電所における発電所附帯設備工事でした。同発電所は、日本の戦後賠償で建設されたことで有名ですが、第三発電所はODAではなく、ミャンマー企業が建設しています。弊社はそのサブコン(下請け建設会社)の形です。

 また、三菱自動車のショールームの機械電気設備工事や、清涼飲料水のアサヒ・ロイヘインのボイラー及びコンプレッサーの設置をしています。ティラワ経済特区(SEZ)でも、大善の物流拠点の建設工事では、元請けとして建設と設備を請け負いました。ティラワではこのほかにも、エースコック即席めん工場の機械電気設備工事を行っています。ヤンゴン工科大学などODA案件も手掛けています。

 弊社は2013年にヤンゴンに設立しました。エンジニアリング会社の東洋熱工業のグループ企業ですが、直接の親会社はフィリピンにあります。ミャンマーでは十分なエンジニアが確保できないため、(文章抜きました)弊社の場合はフィリピンの経験豊富なスタッフを中心に、日本の顧客ニーズを把握した日本人スタッフ、そして現場をよく知るミャンマー人の混成部隊で工事にあたります。そのため、日本人エンジニアに頼る企業よりも価格面で大きな優位性があります。

建設需要は若干スローダウン

―ミャンマーには2011年以降、経済発展に伴う工場やビルの建設や、インフラ整備にかかわるODA需要を期待して、日系の建設業が大挙して進出しましたね。現在の市場環境はいかがですか。

 そうですね。ミャンマー日本商工会議所(JCCM)の建設部会の加盟企業も100社を超えています。日系だけでない競争相手も増えていますね。その一方で、建設需要は、ヤンゴン市開発委員会が、ビルの高さ制限を巡って認可が遅れたことなどもあり、若干スローダウンしていると感じています。また、ODA案件も最近はあまり出てきていません。

 需要がそれほど多くない中で、先を争うように多くの企業が進出したため、競争が激しくなっています。これによって「数年間利益が出なくても、ミャンマー市場を狙うのか」という経営判断が迫られているといえるでしょう。実際に、形だけ拠点は残していても、日本人駐在員は常駐させなくなった日系企業も出てきています。この状況では、現在進出している外資系企業は、いずれ淘汰されていくでしょうね。

―ミャンマーでこの業界のビジネスをしていく上での難しさはどこにあるのでしょうか。

 はい。ミャンマー企業を相手にする場合には、価格面で折り合わない場合が多々あります。日本水準の工事ができるといっても、ミャンマー企業は「日本企業に頼んだほうがが良いのはわかっているが、金がない」ということで、なかなか契約まで至りません。また、代金の回収が難しいこともあります。ミャンマー企業では、大企業でも期限までにきちんと代金を支払わないことが多く、多数の支払先を待たせておいて優先度が高いところから払っていくという慣習があります。こうした中では、日本企業の与信の審査を通るミャンマー企業は、財閥系などごくわずかになるでしょう。

 また、将来が見通しづらいこともあります。確かに成長もするでしょうし、土地もあるので、建設需要が増える可能性はあります。しかし、その需要は政策に大きく左右されますので、見通しが立ちづらいのです。それでもミャンマーに居続けるかというのは、日系企業にとって大きな経営判断とならざるを得ないと考えています。

夫が家事、自分が大黒柱

―プライベートなことをお伺いしますが、千葉さんは家族とともにヤンゴンで暮らしていて、夫が家事を担当するというスタイルですね。ヤンゴンではほかにも同様のスタイルの日本人夫婦がいて素晴らしいと思うのですが、日本人からするとまだまだユニークですよね。

 私は新卒で東洋熱工業に入ったのですが、その後外資系の証券会社やベンチャー企業など多くの経験を積みました。そのうち、会社を辞めて夫と世界一周の旅に出て、帰国してからは、滋賀県の田舎の古民家で暮らしていました。その間は専業主婦をしていて、夫が稼いでいました。

 2011年に東洋熱工業の元上司から、「フィリピンで働かないか」という誘いを受け、翌年に思い切って移住しました。その後出張ベースでミャンマーで仕事をして、2014年に正式にヤンゴンに着任したのです。今は、生活の糧を私が稼ぎ、夫が家のことをするということですが、夫もこの生活を楽しんでくれているので成り立っています。夫は女性との付き合いが得意で、「ママ友」に囲まれてご飯を食べても楽しく過ごせる性格であることも助かっています。

 以前は私が主婦をしていたわけですし、将来的にはこれがまた逆になる可能性もあります。その時に夫と話し合って、ベストな方法を考えたいと思います。ただ、このポジションになってみると、一家の大黒柱という世のお父様方のストレスがよくわかる様になりました。

 ミャンマーではマネージャークラスの日本人女性をあまり見かけませんが、フィリピン同様、ミャンマーには多くの女性経営者や管理職がいるので、私にとっては仕事がしやすい環境です。日本企業も、大胆に女性の活用をしてもよいのではないでしょうか。頭で考えてできないと思っていることは、やってみると案外すんなりできることがありますよ。

―今後ミャンマーで目指すことは何でしょうか。

 設備や機械のメンテナンスをきちんとできるミャンマー人の技術者を育てたいと思っています。メンテナンスという考え方が浸透していないため、せっかく高い費用をかけて作った設備が故障してしまってもそのまま放置というケースが多いのです。いま、ヤンゴン郊外のタンリンに、ダクトの加工工場兼トレーニングセンターを立ち上げる準備をしています。ダクトは、鉄板を囲んだもので体積が大きく、輸入すると高くなるため自社で加工し、お客様の急なニーズにも対応していきたいと思います。こうした場での作業を通じ安全・品質を理解した技術者の育成をしたいと思っています。


モデアミャンマーエンジニアリング Modair Myanmar Engineering
事業内容:不動産・建設・オフィス
URL:

その他の「不動産・建設・オフィス」の業界インタビュー