2017年6月29日
—ミョーさんの目から見た人材業界が抱える課題は何でしょうか?
一番大きな課題は「人事制度がない」ことにある、と考えています。ミャンマー全体、企業組織自体の歴史が浅く、人事制度に関する知識のある人や専門家が少ないのが現状です。そのため人事制度自体がなかったり、不十分であったりする点に不満を持ち、辞めてしまう人も少なくありません。教育プログラムも整備されておらず、人も育たず、退職率も高く、すぐに辞めてしまうのです。そのことは人材紹介業にも影響があります。
今のミャンマーでは企業が求めるのは、経験者が中心ですよね。経験のある人を雇わないと仕事が回らないため、企業は経験者を求めます。しかし人事制度の不備等を理由として、せっかく入社した経験者も会社に長く残ることなく転職してしまいます。そうなると、後輩を教育できる人が会社に残らず、企業としても穴を埋めるための経験者以外には採用する余裕が生まれないのです。その結果、経験のない人は仕事を得にくい、といった悪循環が生じているのではないでしょうか。人事制度が整備されれば課題は解決される、と私は考えています。
一方で、求職者が給与の相場観を把握しておらず、仕事とは何か、さえわからないまま「転職したら給料があがって当たり前」と考え、友達が500ドル(同級生の友達がもっと貰っている)貰っているから、との理由で安易な転職を繰り返してしまっている現状もありますよね。日本ではウェブサイトやOB・OG訪問等を通じて、会社を知る機会や情報も多くありますが、ミャンマーでは情報収集の仕方すら知らない求職者が多いです。いざ情報を収集しようと思ってもなかなか見つからないこともたくさんあります。日本との違いでみれば、情報の少なさも課題の1つかもしれませんね。
少し話は違うのかもしれませんが、日本や他の国であれば、映画・ドラマ・雑誌などのメディアを通じて、企業で働くことをイメージできる機会もありますが、ミャンマーでは企業を舞台にした作品は今のところないに等しい状況ですし、あってもコメディーくらい。企業での働き方をイメージさせる場面の露出度の低さも少なからず影響していのではるんじゃないでしょうかね。
— 業界としての課題もかなり多そうですが、市場環境はいかがですか?今後、変わっていきそうですか?
2015年11月の総選挙前までは、地元各社も人材獲得に対して大きく投資していましたが、最近は少し停滞しているような印象ですね。政権交代後、国としての政策も固まらないため、会社の方向性を決めて投資するには材料が少な過ぎる、と捉えている企業も多いのではないでしょうか。スタッフレベルに関しては、相変わらず依頼は多いですが、マネージャー層の採用には各社とも慎重になっているという印象を受けています。ただこれも時間の問題で、米国の経済制裁解除の動きを受けて、外資企業の投資熱は加速すると見ています。経済が豊かになるにつれて、いいサービスが求められるようになると思いますし、これまで以上に「いい会社にいい人材を提供する」ことを徹底的に追及していこうと思います。間違いなく、いいサービスを提供する会社だけが長い目で残っていくと思いますよ。
—順番が前後しましたが、今はどんな事業を展開されていますか?
現在は、ミャンマーの大手企業・日系を含む外資系企業を顧客とした人材紹介業を展開しています。また付随サービスとして履歴書作成支援サービスも提供しています。ミャンマーでは退職率が非常に高く、人材採用コストを掛けたくない企業が多く存在します。ミャンマー人経営の大手人材紹介会社が設定している紹介手数料は1ヵ月分の給料の半月分や42%等、弊社(給料の1ヵ月分)に比べると低めの設定となっています。そこで、地元人材紹介会社より手数料を高めに設定することでクライアント企業を大手企業に絞り込み、その分サービスの質を高めて差別化を図っています。例えば地元企業では、求職者に電話確認せず履歴書を企業に送付するのが一般的ですが、弊社ではその都度、求職者に確認し、マッチング精度の向上に努めています。おかげさまで、料金がお手頃でサービス品質が高い、とご評価いただいています。
履歴書作成支援サービスについては「履歴書の書き方が悪く、求職者の魅力が伝わってこない」とのお客さまの声から生まれたサービスです。ミャンマーでは日本のように履歴書の書式が統一されておらず、お客さまからは読みづらいとの声がありました。弊社ではあまりに酷い履歴書については、コンサルタントから求職者に対して、履歴書の書き方を指導していました。指導を受けた求職者の中から、お金を払ってでもしっかりとした履歴書を作成したい、との要望もあり、2016年8月から有料にて当サービスをはじめました。完成物は求職者にデータとして渡すため、その場限りの対応に終わることなく、相手の手元に残すことができます。当サービスを通じて、企業側・求職者側双方に大きなメリットがある、と確信しています。
—日本での大学生活を選んだのはなぜですか?
元々、留学しようと考えていて、英語の勉強に必死に取り組んでいました。留学候補としては、シンガポールの国立大学からも奨学金付き入学許可を貰っていましたし、イギリスやアメリカへの渡航も考えていました。しかし最終的には、世界70カ国から学生が集まる国際的な環境である事を重視し、学費全額免除となる奨学金を貰えた事もあり、立命館アジア太平洋大学を選びました。
2006年10月、初めて日本に行きましたが海外渡航自体初めてでした。福岡の空港に降り立つと、高層ビルが建ち並び、イメージ通りの日本の景色が見えました。留学先の大学へと向かう高速バスに乗り込み、別府市に向かっていく道中では景色がどんどん地方に変わっていき、到着したのは山の上。想像していた日本の風景との違いに驚きましたが、今、振り返れば、夜はとても静かで勉強にも集中しやすい素晴らしい環境でしたよ
—元々、大学卒業後はミャンマーに戻るつもりだったのですか?
日本渡航前の2006年当時、ミャンマーの経済環境は厳しく、1度海外に働きに出た人は戻って来ないのが当たり前でした。国内の企業で働くにしても給料は低く、ビジネスチャンスはゼロに等しい状況。そのため、海外でずっと働くことになるだろう、と覚悟して日本で就職活動をしました。ご縁があり、2010年10月から上京して大手物流会社で働きはじめました。営業企画の仕事を経て、帰国前 1年半ほどは外資系デジタル家電製品販売会社の担当として海外支店との調整・会議等、国際的な業務にも携わらせていただき、合計2年半、同社で働きました。
会社で働く傍ら、起業家精神旺盛でしたので、旧知のミャンマーの友人と週3日ほどの頻度で仕事後に会うようになりました。2011年3月末のテインセイン政権誕生を受け、民主化されていくのを見て、ミャンマーでのビジネスチャンスについて日々話し合っていました。そんなタイミングで、2011年9月に中古自動車輸入に関する規制が緩和されたため、10月から友人と一緒に中古自動車の輸出事業に取り掛かりました。会社が終わるのは早くて20時過ぎ、終業後に落ち合い、夜中の2時過ぎまで条件に合う車をネットで探す。会社勤めと並行しながら、日本を離れる直前までの1年半近くそんな生活を続けていました。
—人材紹介業をやるつもりで帰国を?
ビジネスチャンスの広がりを感じ、2013年3月に会社を辞めてミャンマーへ帰国しましたが、実は何も決まっていませんでした。パートナーもプランもなく、ただ「何かビジネスをやる」ことだけは心に決めて戻ってきました。学生時代から換算してミャンマーから6年半離れていたため、市場調査からはじめようと考え、あらゆる可能性を探りました。飲食店、伝統品の製造等、様々な可能性を模索する中で、これから経済的に発展していく中で人材の重要性が増していくと考え、人材業界を選びました。その中でも、次世代を担う若いミャンマーの人達にいい会社で働く機会を提供したい、と考えて人材紹介会社に絞り込み、2013年8月に登記、2013年11月3日に事業を開始しました。既に3年が過ぎようとしています、あっという間でしたね。
—最後に、御社の次の一手と目指す方向性について聞かせてください。
2016年末にモバイル端末からの使い勝手の良さを改善するため、ウェブサイト「ミャンマージョブリンク」を大幅にリニューアルしました。当サイトの活用促進・バージョンアップにはさらに力を入れていくつもりです。やはりウェブ経由での登録者が8割を占めるため、ウェブへの注力は欠かせません。同時に、お客さまから要望が多いため、出欠管理機能を登載した人事管理ソフトウェアの開発にも着手しはじめたところです。人事制度の構築にも役立てると考え、2017年中のリリースを目指して現在開発中です。
ここを目指して日々の業務に取り組んでいます。退職率の低い会社の特徴として挙げられるのは、社員にとって楽しい環境が整っているかどうか。これは、経営者とのやりとりを通じて私が感じていることです。
もちろん楽しく働くためには売上が大切ですし、売上を上げるためには1人1人のアウトプットが必要です。仕事上の役割分担はありますが、変な縦割りにならないよう、1人1人の協力が会社のためになることを日々伝えています。仲間意識を持ちつつも、プロフェッショナルとして1人1人が楽しく働ける環境をつくりたい、と思っています。