2017年6月28日
―損害保険ジャパン日本興亜のミャンマーでの歴史について教えて下さい。
当社のミャンマーへの関わりは古く、戦時中の1942年に遡ります。一度目の進出では終戦を迎え撤退を余儀なくされたものの、その後1952年に再進出を果たしました。しかし1962年の軍事クーデターにより全ての外資系保険会社が国有化され、1964年にまたしても撤退を余儀なくされました。その後、約30年の期間を経て、1995年に現在の駐在員事務所を開設し、3度目の進出を果たしました。これは軍事政権後では初の外資系保険会社の設立となりました。
事務所開設後は、主にミャンマー保険公社を元受とした保険の取次ぎ業務を行ってきています。特に外貨建ての自動車の特約再保険ではミャンマー保険公社の全ての再保険を受けるなどミャンマーの保険市場に深く関与してきた歴史を持っています。
―近年では、経済特区内での活動、或いは現地保険会社であるAYAミャンマー・インシュランスやコメ業界団体との提携などを行っていますが、そのあたりの取り組み状況についてご説明下さい。
2015年5月に経済特区内の元受業務の認可を頂き、現在はティラワ経済特別区の中での工場やオフィスビルなどの建設工事に伴うリスクをカバーする保険、また火災保険、損害賠償責任保険等への取り組みを行ってきています。
AYAミャンマー・インシュランスとの提携は2016年5月に業務協力の覚書を締結しています。
ミャンマーの民間保険会社が外国保険会社と業務協力の覚書を締結したのはこれが初めてです。同社とは過去から緊密な関係でありましたが、今回の覚書の締結により、当社は同社の人材育成に協力し、また同社からは現地保険会社ならではのマーケット情報を提供して頂く体制をより強固にしていきたいと考えています。
2016年7月にはミャンマーのコメ業界団体であるMyanmar Rice Federationと業務提携の覚書を締結しました。これは2014年から開発を進めてきたミャンマー専用の天候インデックス保険の実用化に向けた協働を目的にしています。
必ずしも事業としてでは無く、国民の7割が農民と言われるミャンマーに対する貢献の一つとして、また地方との格差解消は重要な政策としても挙げられておりますので、こうした課題に対して貢献していくことが出来ればと考えています。
― 保険業界の現在の状況について教えて下さい。
2012年まではミャンマー保険公社が独占する状況が続いていましたが、2013年以降民間の新たな保険会社が設立され、2016年12月現在ミャンマーの民間保険会社は11社となっています。内訳としては生命保険のみを扱う会社は3社、生命保険に加え損害保険も扱う会社は8社という状況です。依然ミャンマー保険公社が全体の市場シェアの過半を有する状況ではあるようですが、民間保険会社のシェアはサービスや営業力の拡充に合わせて確実に伸びてきています。
主要な保険商品としては、自動車保険と火災保険が挙げられます。通常他国では、海上火災保険が占める割合は一般的に高いと言えますが、ミャンマーにおいては損害査定が困難であることや制裁等の影響によりグローバルなクレームエージェントのネットワーク構築が難しかったことから海上保険の引受が進んで来なかったという経緯があります。
生命保険については、定期保険は原則無く、あまり普及はしていませんが養老保険がある程度です。
―ミャンマーでの保険事業の難しさとは何でしょうか。
保険に限ったことでは無いかもしれませんが、やはり人材の育成が進んでいないことは大きな課題と言えます。
保険業界に限って言えば、ミャンマー国民の中で保険への基本的認知度が低いという状況が普及の妨げになっているかもしれません。経済制裁により海外の保険会社が再保険を受けることが出来ず、大きな保険を受けることが出来てこなかったという状況も影響しています。